故杉山久美子の略歴

 

故人杉山久美子は昭和3164日に静岡県大仁町に生れ、大仁小学校、大仁中学、韮山高校と進学しました。昭和49年には慶応大学文学部に入学しました。民族考古学コースを専攻し、特にメキシコの古代文明に関心を抱くようになりました。自身のロマンを追うため、大学を卒業後はメキシコに渡り、国立メキシコ自治大学の大学院に進学し、そこで生涯の伴侶となった杉山三郎と出会いました。二人は昭和50113日に結婚し、メキシコ国立人類学歴史学研究所に働く三郎と、メキシコシティーにて二人の生活が始まりました。久美子はメキシコで長男陽生、長女昌乃、次女奈和を出産し、現地メキシコ人・在墨の日本人の友人達に守られながら、5人での忙しい暮らしが続く中、大学院での勉学も続けておりました。

 1987年には夫三郎がアメリカ合衆国マサチューセッツ州のブランダイス大学の博士課程に入学したことから、久美子も子供達3名とともに同伴し、全く新しい環境での生活を始めました。しかしながら考古学への夢は消えず、忙しい中自身もボストン大学大学院の考古学専攻に入学し、再度勉学に励みました。

 その後も久美子と家族は、アメリカ国内外を度々引っ越し、移り変わる環境にチャレンジする暮らしを続けました。1990年には久美子と家族一同は、夫三郎がアリゾナ州立大学に転学・転職したことから、アリゾナ州テンピー市に移りました。1994年にはハーバード大学のダンバートン・オークス研究所で研究を行う夫に伴い、子供達とワシントンDCにて一年間生活し、翌年にはまたアリゾナ州テンピー市に戻りました。1999年には夫が愛知県立大学へ転職し、次女奈和を連れ30年ぶりに帰国しましたが、二人の子供、陽生、昌乃がアメリカの高校に在学中のため、久美子は日本とアメリカを行き来する生活となりました。その後も日本での教鞭、アメリカやメキシコで研究する夫と共に、3つの国を動く生活となりました。メキシコに渡って以来、アメリカ、そして日本においても勉学や家事・育児とともに、夫三郎の発掘調査援助、日本人学校教師、地域コミュニティー雑誌発行、通訳、その他の短期契約社員などにも従事しました。そのような多忙な毎日の中、2011518日に急な病気により、アリゾナ州テンピー市の自宅にて永眠しました。

 同年522日にアリゾナ州スコッチデイル市にて告別式を行い、大勢の友人と最後のお別れを致しました。久美子の遺体は翌日23日に出棺され、25日に遺骨は夫と3人の子供と共に帰国致しました。528日には日本の親族の方々、ならびに生前お世話になった友人など大勢の方々にご集まり頂き、久美子を偲ぶ会を行いました。久美子がお世話になりました多くの方々、長い間ありがとうございました。

家族一同