ForeverMissed
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Tributes
June 28, 2021
June 28, 2021
母はお料理するのは自分の生きがいだと言ってました。
和食から中華、洋食、お菓子作りまでいつでも何でも美味しく作るお料理は、私の自慢でもありました。小さい時、特別な日は完璧レアに焼きあがったローストビーフが大好きでした。小、中学校の頃、毎週土曜日は母と一緒にさかな屋に行って、ハワイとローカルのマグロやサーモン、ウニなどのお寿司のネタを買ってきて、母が一人で5人分のお寿司を丁寧に握っている姿が今でも目に浮かびます。そして、その握り寿司を食べながら、家族そろって水戸黄門、ザベストテン、連続ドラマなど日本のテレビをビデオで観るのがいつも楽しみでした。
お誕生日は欠かさず手作りチョコレートケーキ。カナダにいてもお正月は必ず手作りおせちとおもちを年末から一生懸命作ってました。サブレーやチーズケーキなどのお菓子、ちまき、レモンチキンやビーフブロッコリーなどの中華料理、毎年ジューシーに出来上がったタ
ーキーも自慢でした。本当に幅広いレパートリーがあったからこそ、お料理の先生としても活躍できたのだと思います。
私が今、料理好きなのも母のおかげだと思ってます。
June 24, 2021
June 24, 2021
ママは6月16日水曜日に退院しましたがその日と翌日は予想以上に元気で
した。笑い話もでき楽しい時間が持てて大変嬉しかった。何回もパパと呼んでくれた。邦子と登ともしばしば楽しそうだった。しかし退院3日目からろれつが急に回らなくなったので疲れてきたのではないかと思った。退院4日目より6日までは殆ど一日中眠っていた。

退院7日目の朝9時頃邦子がオンラインで晴子がママに感謝の気持を素晴らしい心のこもった言葉で伝えている途中で9時7分ごろ突然ママの呼吸が止まったようだと邦子が驚いたので傍にいた私もびっくりしてママを見つめた。専門家の説明では人は最期の瞬間まで聞こえているとのこと。ママは晴子の声を聞いて喜んででいたはずだ。ちょうどその時あおぞらクリニックの吉野看護師がママのお世話をするためにママの眠っている部屋に入って来た。早速聴診器による検査などをして、ママの呼吸は完全に止まっていますと私共にも確認してくれた。特にママの最期を見届けた邦子とわたしはママが苦しそうな声もしぐさも無く全く穏やかに息を引き取ったのがむしろ嬉しかったと言えるほどだった。81歳の大往生だった。


ママの最後の瞬間まで晴子がママに話しかけられたのは、ママが晴子を読んでいたのじゃないかと思う。全くママも晴子も運勢が強いのだろうと信じている。

ママが永眠した日の午後7時に、神道の歴史に従って通夜の儀式がしめやかに進められた。
翌23日の午前11時に告別式の儀式が始まった。この儀式には邦子、登、私3人の他孫4人の両親、石川和子姉、早苗ちゃん8人が遠い所から参列してくれた。全く感謝の気持で一杯だ。 
10日祭、2回の火葬場での儀式、明るい雰囲気での食事会などすべてが終わったのは午後4時過ぎだった。
ママを明るい雰囲気で永遠の眠りの旅に送れたことはむしろ心から嬉しく思う。

昌子よ 
向うについたら、お父さん、お母さんたちと楽しい話などしながら生活して下さい。

                          洋より





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